講演「インターネット事業と私的検閲」メモ

インターネット事業と私的検閲(2014.9.20 文京シビックセンター・スカイホール)http://www.jfsribbon.org/2014/07/blog-post.html
講師:宍戸常寿 教授(東京大学憲法学)

◆重点◆この文章は、講演会で話された内容を、私の理解のもとに編成したもので、講演の内容そのままではなく、注にした部分以外にも筆者の主観が入った、筆者自身の理解を整理したものです。


1.はじめに
 本題の前に、インターネット事業者が利用者との間で起こす問題状況について、最近の有名事件は以下のようなものがある。
(1)PRISMプログラム*1NSA(米国家安全保障局)による『インターネット事業者の同意の上での』情報収集への、大手インターネット事業者各社の協力が明らかになった)騒動
(2)「忘れられる権利」(又は「リスト化されない権利」)に関する欧・日の裁判動向
◆欧州について:http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=152065&pageIndex=0&doclang=en&mode=lst&dir=&occ=first&part=1&cid=273525EU司法裁判所が、申立人の債務に関する記事へのリンクを削除することを命じた(”Judgement”第2項)例。http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DU06R20140514 ←ロイター報道*2
◆日本について:ヤフーに対する、原告の逮捕の事実に関する検索結果の表示の差止め及び損害賠償請求を認めなかった例として、京都地判平26・8・7(裁判所HP未公開)http://mainichi.jp/feature/news/20140823mog00m040003000c.html毎日新聞「判決要旨」。
(3)Googleの内部ルールによる検索結果の操作、いわゆる「Google八分」、2014年6月上旬に起こった「ロリ」排除事件など*3。「私的検閲」といった場合、おそらくこれが問題となっている。

2.私的検閲の問題状況:何が「私的検閲」として問題になるか
 「インターネット事業者」とひとくくりにするが、実態としては、インターネット接続を提供するものから、Web上の各種サービス、通信販売事業者等、内容も規模も多様である。GoogleAmazonといったグローバル巨大企業ばかりを想定しがちだが、実際には零細企業まで多様な事業者が存在*4している。また、一つの通信の成立のために、複数の事業者が介在しているのが普通である。
 これらの事業者が、特定の情報について、これを削除したり、アクセスを遮断するような行為が問題とされる。
 この行為はおおまかに3分類される。(1)公権力が、事業者を代理人として行う、「代理人を介した検閲」 (2)権利を侵害された本人等の要求による削除等 (3)事業者による自主的な削除等 、の3つ。(1)については、憲法上の検閲の禁止が及ぶべきものである。詳細については、成原慧「代理人を介した表現規制とその変容」マス・コミュニケーション研究80号(2012)を参照すべし、とのこと。(2)についてはあまり問題にならない。(3)が、「私的検閲」ということになる。

3.私的検閲と憲法上の問題
 私的検閲が行なわれる場合には、(表現者との関係では)表現の自由(憲21条1項)、(閲覧者にとっては)知る権利(同条)、その他、通信の秘密(憲21条2項後段)、検閲の禁止(憲21条2項前段)といった規定が問題になる一方、事業者がいかなるサービスを提供するかという営業の自由(憲22条1項)との対立関係も生じる。 また、インターネット事業者と利用者(表現者/閲覧者)の関係は、公権力でない私人間の関係であるため、いわゆる憲法の私人間効力の問題となる。ただし、この点については、間接効力説でほぼ固まっているのではないか。

4.憲法上の「検閲」概念について
 憲法上の「検閲」については、税関検査事件判決(最判昭59・12・12民集38-12-1308)が判例である。その内容は、表現物に対して、「行政権が主体」「事前の内容審査」「発表の禁止」といった要件を備えたものだけが「検閲」であるということになる。この定義からは、私的検閲は「検閲」にあたらない。この判例の「検閲」概念については定義が狭すぎて意味をなしていないとして、表現の内容を理由として受け手に届くところまでのどこかを妨害する「機能上の検閲」についても憲法の禁止する「検閲」にあたるとする学説では有力である*5(宍戸先生もそうお考えであるとのこと)。

5.業法上の「通信の秘密」について
 通信の秘密については、業法でカバーされている。事業者に対しては、電気通信事業法4条1項で、通信の秘密の侵害が禁止されている。ここでいう通信の秘密とは、通信が行われているかどうか(通信の存否)を含めて、通信にかかるあらゆる情報についての他への利用が禁止されるという意味である。これについて、以下のような理由から、十分に機能しているとはいえない。
 1対1のコミュニケーションを想定した場合、情報の通路、「土管」としての事業者像が想定され、そこでの通信の内容について事業者は関知しない・するべきでないものであり、通信の秘密の保護が及んでいる。
 1対多数のコミュニケーションの場合、そこで流通する情報は、公開された情報である。そうなると、通信の秘密の保護が及ばないことになるし、公開後の情報の発信を阻害する行為についても、事前の審査・差止めという、法3条の「検閲」*6でもないということになる。このため、電気通信事業法による事業者の行為規制は、公開される情報に対しては十分に機能しない。また、事業者については、プロバイダ責任制限法*7による免責規定もあり、自主的な削除等を過剰に行なわないような誘導がされてはいるものの、自主的な行為としての私的検閲を制限するルールがあるわけではない。

6.「ステイト・アクション法理」の可能性について
 インターネット事業者の私的検閲について、「ステイト・アクション法理」の導入による解決の可能性はないだろうか。
 ステイト・アクション法理とは、私人の行為について、その行為を国家(もとになる米国では、”State”即ち「州」)の行為と同一視できる場合には、その行為が憲法によって制約を受ける、という法理である。同一視できる場合がどのような場合かというと、(1)公権力が私人の私的行為に極めて重要な程度にまで関わりあいになった場合、又は(2)私人が国の行為に準ずるような高度に公的な機能を行使している場合、とされる。
 日本では学説でもこれの導入には否定的である。まず、私人の行為を憲法により制約するというのは、国家から私人を守るという日本国憲法の原理に沿うものといえないのではないかという点が指摘される。また、現実的な問題として、日本の裁判所には、憲法をもってこのような形で社会への影響力を行使することが期待できないと考えられている。これは、ステイト・アクションが、米国で、人種差別を改めようとしない私人の行為について、裁判所が介入してこれを改めさせるために、影響力を行使する手段として考えだされたものであったこととの関係で、日本の裁判所は伝統的にその種の介入に消極的であるし、現状追認をするだけになるかもしれないと思われているということである。

 インターネット事業者の私的検閲の問題を、ステイト・アクション法理をもって解決できるかというと、仮にステイト・アクション法理を導入したとしても、困難であろう。インターネット事業者と利用者間の特有の問題として、検索エンジンを想定すればわかる通り、検索結果の調整等について、これを法によって制限するとなると、利用者から利便性を奪うことになりかねない*8し、裁判所の機能的な限界*9もある。また、権利侵害の具体的内容として主張できるものがない場合が多いと考えられる。まず、ある事業者のサービスにおいて特定の情報の公開ができなくなったとしても、容易にとりうる他の手段(他の事業者のサービス等)がある場合には、表現の自由の侵害にはあたらないとされる。次に、検索結果の調整が行なわれた場合には、例えば特定の検索エンジンにおける表示順位の調整は、権利侵害といえないのではないかと考えられている。
 このように、ステイト・アクション法理によっても、インターネット事業者の行為を規制するのは困難である。これについてローレンス・レッシグは、ステイト・アクションという狭い法理では対応しきれず、事業者の行為を規律するものが別に必要である、というようなことを言っている。ステイト・アクション法理は十分なものではなく、このような特殊な枠組みではなく、「公共性」と関連した枠組みを考える必要がある。参考にるかもしれないものとして、ドイツの議論がある。ドイツの憲法論は、国家の機能・配慮義務から、「公共体の基本秩序」(=個人の尊重と民主主義の前提の確保)のあり方を規律するのが憲法基本法)であるとする。そうすると、国家の行為を規律する憲法の適用としてではなく、事業者をその公共体に含まれるものとして議論するということになるだろうか。

 (また、解釈上の問題と別に、Googleのような巨大企業の場合、国家レベルの法による統治がそもそも及ばないという問題もあり得る。※この点については客席の大屋先生が詳しいので、ということで客席にネタが振られ、講演後にコメントがあった。国家が何をする/差し控えるか、という枠組みの外に、情報化による国家による統治可能性が低下した状況において、市民がいかにして生きのびるのか、を考える段階である、というようなコメント*10があった。)

7.今後の検討のために
 インターネット事業・事業者は前述の通り多様であり、一律なものでなく個別に権利・利益の調整が必要である。
 曽我部真裕「『情報法』の成立可能性」『現代法の動態1 法の形成/創設』(岩波書店2014)は、この分野について考える上で基本となるべき論文であり、読むべきである。また、総務省「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」報告書は、日本における議論の整理の結果であり、両論(というか全論)併記となっている。「むすびにかえて」の、

本フォーラムにおいて交わされてきた活発な議論が、国民各層が言論・表現の自由や自らの果たすべき役割について考え、議論をし、具体的に行動を起こすためのきっかけとなることを期待したい。

ということを、事業者・利用者ともに考えていただきたい。

(講演終了)


 …ということで、タイムリーかつ興味深い内容であったと思います。夜開催であったため、終電の時間のため講演会後のアフター会に参加できなかったのはちょっと残念。内容についての補足、修正すべき点等ありましたら指摘いただけるとありがたいと思います。


 この日記自体もはてなのサービスに依存しているわけで、じゃあ或る日お前の日記全部消すぜ、って言われたら頭抱えるところですね。テキストで出力できて引っ越せるならそれでいいだろ、と言われて納得できるかと言われるとなかなかにアレな思いがあるところだろうなと思いますが。


 まあロー生はそんなことよりあと半年ちょいに迫った試験の勉強しろ、と言われたら何も言えないですね。

◆9/27、誤表記・リンク先ミスを修正。

*1:E・スノウデンによって暴露されたアレ。http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPTYE95603Q20130607(ロイター報道)等を参照。

*2:preliminary ruling concerns とあるので、スペインの裁判所が、判決をするにあたって事前にEU司法裁判所に対してEUデータ保護指令との抵触関係を問い合わせたものに対する判決、ということになっているはず。

*3:なおGoogle日本法人は「特定ワードの検閲はしない」旨を発表しているのですが、一方でhttp://googleblog.blogspot.jp/2013/06/our-continued-commitment-to-combating.html←こういうこともやっているので、特定サイトの検索結果からの排除なんかについては、必ずしもこれを行わないポリシーではないと考えられます。何らかの違法情報の対策を行おうとすれば、必須的手段でもあります。

*4:自作フィギュア写真を掲載したブログの一斉削除事件を起こしたTeaCupの例http://togetter.com/li/649546なんかも思い出されるところです。GMOインターネットは国内では大規模な方だと思われますが。

*5:芦部『憲法』第4判(有斐閣2007)185-186頁ほか。

*6:電気通信事業法3条の「検閲」は、事業者に対する規制法であり、検閲の主体の要件が、上記判例の「公権力」ではなく、法2条5号の電気通信事業者ということになるかと思います。

*7:プロバイダ責任制限法 関連情報ウェブサイト等を参照。

*8:「遵法か撤退か」ということになるわけで、結果的に利用者の不利益をもたらしかねない

*9:講演では深く言及されなかったのですが、例えば検索結果の調整にかかるコードについて裁判所が判決によってこれを書き換えさせることは現実的でないとかそういう意味だったでしょうか…

*10:この議論の詳細については、大屋雄裕『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩書房2014)第2章(68頁〜)が参考になるかと思います。