また言うよ

 憲法の記念日らしいですよ?せっかくなので俺はこの朝旧新聞の社説を読むぜ。
 今年は朝日新聞社襲撃事件にはいいかげん触れないことにしたらしい。いい加減見飽きてきた頃だしこれはいい傾向ですね。そしていつもの?条論・護憲論に終始するかと思いきや…なんと斜め上に跳躍した。終盤になって、突然「インターネット社会が持つ匿名性は、『両刃の剣』だ。多数の人々に個人が自由に発信できる世界を広げる一方で、無責任な書き込みによる中傷やいじめ、プライバシーの暴露が、逆に個人の自由と人権を抑圧する」とぶち上げた。
 マスコミのネット脅威論もいい加減辟易してくるわけですが、この飛躍ぶりは、「そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが」の時から全く進歩していない…
 そもそも、ネット実名論とか言い出す人々って何なの?ネットの匿名性が犯罪や誹謗中傷やいじめを生むわけではないでしょう?もともとあるものがネットにも当然存在するだけのこと。ネットの出現は人と人のつながりの形を変化させ、商取引の形を変え、芸術活動の形を変え、その他あらゆるものに変化を起こしてきた。犯罪もしかりで、誹謗中傷のやり方やいじめのやり方も当然変化させてきた。
 匿名性の恐怖!みたいなことを言い出すのが大好きな人々がいるけど、街中で歩く多くの人たちは、お互いにそこにいるのがどこの誰だかなんて知りはしないし、そもそも知りたいなどと考えない。そこで実名を求めるのは、「街を歩くには必ず名前と電話番号を見やすいように書いたプラカードを首からさげよ」と言うに等しい。いや、等しくない。もっとひどい。ネットを空間にたとえるならば、全ての人は千里眼を持っているようなものだ。隣にいる奴の名前が見えるのと同様に、東京に居ながらにして○○市○○区○○町○丁目南東の交差点にいる奴の名前は○○○で電話番号はxxx-xxxx-xxxx、と見えるようにするに等しい。それこそ恐怖に満ちた世界だと言うものではないだろうか?
 ネットによる犯罪やいじめの増加だの深刻化だのを云々するのも同様。インターネットの存在とは、その必要性の広範さに於いて昔は斧や鉈に近かったかもしれないが、今ではもう包丁や鋏の域に近付きつつあると言えよう。包丁や鋏は刃物であり、誰にとっても必要なものであってどの家庭にもあるものだが、それで怪我をする子供が後を絶たないとする。では、子供が刃物でケガをしないようにするためにはどうしたらよいか。ネット規制を義務化しようというのは、家庭に置く刃物を、刃を入れない包丁や竹光にしろと言うレベルの議論であると言えばわかりやすいでしょう。では話を戻して、子供が怪我をしないようにするためには?誰にだって分かることかと思いますね。朝日新聞の方などはお分かりにならないようですので一応書いておきましょうか。刃物の正しい使い方を教える、でいかがです?家庭での刃物の扱い方は母親や家庭科の授業で習ったものですが、今の親は子よりも情報技術に関して疎かったりすることが多いので、親にそれを期待できないという問題があるでしょう。文科省のお歴々は、MIAUなどの言葉に真面目に耳を傾けてみてはいかがでしょう。(参考:MIAUが「インターネットの教科書」作成へ、子供・保護者向けに:Internet watch)