科学の「悪用」?

 科学の悪用:過去80年で国内500件超 サリン事件など(毎日jp)

 毎日しか記事にしてないっぽいから信憑性がアレなんで話半分くらいに読んでいただきたいところですが・・・

 まず、国内に於ける「科学技術の悪用」は、全体でこんな少数ではない。硫化水素自殺の死者だけでも、年間1000人を超える(2008警察庁発表)。ここで社会技術研究開発センターは一体何を気にしているのかを考える必要がある。

 まず、記事に言う、“CBRNE”とはそもそも何なのかを抜きにしてこの記事を見ても意味が無いことに注意したい。記事にあるとおり、この概念は「対テロ」から生まれたものであり、そもそも政治的に内容の変動する特殊な外交用語である。 かつて冷戦時代に“ABC兵器”と呼ばれた3種の「兵器」の概念と大いに違いがある。ABC兵器は、冷戦で睨み合う両大国がお互いに「使っちゃうと後始末困るよね」と言って忌避した兵器の概念で、敵同士仲良く使わないことにしたいね、というものだった。
 ではCBRNEはどうか。対テロから生まれたことは前述、内容について見る。“CBRN”までは、ABCと変わらない。ここで重要なのは、最後に付け加えられた“E”の一文字である。EとはExplosive、爆発物。爆発物はそもそも、兵器や工作技術として最もありふれたレベルのモノである。つまり、技術の軍事転用云々でなく、「テロリストの手に渡ること」が恐れられているのは何か、というリストがCBRNEであり、いわゆる「大量破壊兵器」とほぼ同義のものである。つまり、CBRNEとは「特定の国家(or社会)にとって都合の悪い物」である。典型的な用法としては、『イラクはCBRNE兵器を隠し持っている。これはわが国及び国際社会に対する脅威であるので以下略』というアレである。
 ここから転じて(というかおそらく誤訳して)、社会技術研究開発センターが気にしているのは、犯罪に使用されるCBRNEについてなのだろうと考えられる。日本で本来の意味でのCBRNE事件というのは、おそらくオウム真理教と半世紀前の過激派関連以外には数えるほどしかないだろう。そういう意味では、先端技術に日常的に触れる研究者等の倫理教育を行いたいというのは別に間違ってはいない(事故を含めたのもそのためかな)と思われる。

 さて一方で、世界には、『科学の悪用』として、科学の軍事転用そのものを否定する、次元の違う議論がある。これについても触れておきたい。進歩した科学が軍事転用されたことで戦争が簡易かつ自分と離れたところで行われるようになり、無責任な戦争が増えた、というもの。この議論は、みんなが一斉に非武装になれたら戦争は起こらないよね、という主張に親和性が高く、戦争が発生してしまうことが現実にある、ということを肯定する限りは意味が無い議論である(前者が理想の世界であり、そうなったらいいね、という事は否定しない)。
 およそ人を殺す方法というものは、だいたい何かしらの「殺すための科学・技術」に基づく。刃物、爆発物、格闘技なんでも結構。上にあげたCBRNEも同様。逆に、あらゆる科学技術を捨てたとしても、人を殺そうと思えば、おそらくは石と棒で殺せる。戦争が起こった時、軍事のための科学技術を一切否定するならば、武装した相手に石と棒で立ち向かうことになる。その中では、よりマシな道具を求めてやはり武器の進歩が始まるはずだ。そこで「科学技術を軍事に悪用するなんて!」という感情が何の意味もなさないことは言うまでもない。軍事はその時点でのあらゆる科学技術を吸収して行われ、軍事技術の枠の中でも進化は止まらない。これを道徳的に制限しようとしてもできるものではなく、国家間で兵器が制限される範囲が、「後始末の面倒な」兵器の制限(核とか地雷とか)に留まるのも当然の帰結である。