ジャスミンの香りは洩らさぬように―中東と中国

 「ジャスミン革命」と呼ばれるようになったチュニジアの政府の崩壊は、イスラム革命でも共産主義革命でもなかった(崩壊後の政府に両勢力がある程度力を持つことはあり得る)。チュニジアでは、失業の解決や生活の改善を求めたデモが政府打倒運動まで発展した。エジプトでも大規模な運動になっており、これがFacebooktwitterを介して広がることに恐怖したエジプト政府の対応がこれ。迅速にインターネットの全遮断に踏み切った。
 また、宗教でもイデオロギーでもなく、社会の閉塞感によって政府が崩壊させられたということが、これらの運動を「中東の政治不安」で片付けられない要因でもある。これは、「我が国の社会は大丈夫」と思っている多くの国と、国内に多くの不満を抱えていることを自覚している国(要するにほとんどの国)にとっておそらく脅威に映る。好例はこれ。“エジプト”は、“天安門”や“劉暁波”に並ぶことになった。
 中国、チュニジアデモ報道を規制 庶民の不満触発警戒か(47Nwes)
 Beijing blocks searches for "Egypt" from microblogging site following protests there.アルジャジーラ

 さて日本は、と見ると、まず間違い無く「我が国の社会は大丈夫」と思っている国の一つである。しかし、ちょっとした事件の一つでも起これば直ちに弾圧を考え出す程度には幼い自由の保障意識しか持ち合わせていない可能性も高い。尖閣諸島の映像流出事件の時、すぐに内閣官房長官が「情報統制の法制化を」と言い出したことも記憶に新しい。中東で漂うジャスミンの香りを国民に嗅がさぬようにフタをする中国を笑ってばかりもいられない。そのジャスミン茶に口をつけることは許さないと無言で圧力を掛ける国に、我々は住んでいるかもしれない。