ひーろー

荒木飛呂彦は物語を作ることについてこんな感じのことを言っていた。「登場人物たちの行動には、なぜそういう行動をとるのかという必然性がなくてはいけない」と。それがストーリーに流れを与え、非現実の中にもリアリティを与えて、作品の世界を構成していくのであろう。だからJOJOは説明的台詞や屁理屈っぽさを含みながらも読んでいて飽きず、意外性を持ちながらも超展開っぽさは感じない。

リビングに行ってみたらアンフェア the movieをやっていたので見る。ストーリーの大筋についてはいいとして、映像が超展開で噴き出しそうになった。あまりにアレすぎてあんまり覚えてないんだけど、バイオテロ起こそうってくらいの集団だったと思うのに、銃突きつけて捕獲した捜査官を身体検査も拘束もしないでただ殴る→殴る→殴る→「おい、もういいだろう」→振り返る→射殺される片割れ→突如としてそこに存在するもう一人の捜査官→以下略の展開には絶望した。そして腕を打ち抜かれて止血もせずに肩を貸してもらいながら歩く主人公に相方がかける台詞が「おまえそんなケガじゃたどりつけな(以下略」そんなこと言ってる暇があったら止血してやれよと(省略されました。


というなんだか残念な気分になったんだけど、横で姉貴がすっごい真面目な顔して見てたので怖くて何もいえませんでした。監督が残念なのか脚本が残念なのか原作が残念なのか知らないけど、とにかく残念感あふれる映画でした。邦画にアクションヒーローを求めるのはそもそも無理なんだろうということを再認識。まず第一に、ストーリーありきではなくて役者ありきで作られているような気がする。あれで強いオンナ(笑)とでも思ってるのかと。ただ歩いたり走ったりするだけで、カッコつけてるのわかったから、もう痛々しいからアクションシーン無しにしてあげて、と言いたくなる。女性アクションヒーローを作りたければシガニー・ウィーバーとかリンダ・ハミルトンの爪の垢でも煎じて飲めと。そうでなきゃ、半端なアクションはしないことにして野郎どもをアゴで使う女傑でも描いたほうがよほど面白いんじゃないかと。いや俺にとって面白いだけなんだけど・・・