子の「連れ去り」と女系社会

 日本女性は「誘拐犯」 米大手TVが“反日キャンペーン”MSN産経ニュース

 日本における、子のいる夫婦の離婚シーンの典型的なイメージは、「母親が子の手を引いて家を出て行く」というものである。法制度の上では、離婚の際にはどちらか片方の親のみに親権が認められる(民819)。この際、かつては裁判所も「母親優先」としていた時代があり、これが性別による画一的判断とされて批判され、「総合的に子の利益」になるようにという判断基準がおかれるようになったものの、今でも実質的には母親に認められるケースが大半を占める。厚労省平成21年度「離婚に関する統計」図11参照。

 この「子を監護するのは母親」のイメージは、古来からの日本の家族の形態そのものである。男が通ってくる平安時代から近世に至るまで子の監護は主に母親の役目であり、明治になって「家制度」ができて父親が全権を掌握する時代を経ても、結局現代までその意識は変わっていないように見える。現在、「女性は家で家事を行うもの」という規範意識は性差別であると認識されている。もし、「離婚したら女性が子を連れて行くもの」という規範意識が現在でも生きているとしたら、それも性差別の根源でありうる。もちろん、「母親の下にいる方が子にとって幸せである」という意識であってもそれは同じことである。

 ハーグ条約の批准を目指して法改正を行うことは歓迎されていいと思う。離婚に際して共同親権を認めるくらいの融通が効くことは社会全体にとって利益の方が大きい。「社会的(文化的、などの文言もあり)基礎がない」と言ってこの条約を拒むのは、現在の日本の社会的基礎となっている上記の性差別を維持したいという意思表示に他ならないことを自覚しなくてはならない。共同親権なんて認めたくないという当事者は裁判で争えばよいし、他人に対してさえ共同親権などといういかがわしい物の存在自体を許したくない、という老害は早く社会から退場するとよい。