性的表現の自由(第3回):懲りない東京都

東京都青少年育成条例改正案

「非実在青少年」を削除、再提出へ 都条例改正案(ITmedia)

旧改正案関連記事(ITmedia)

 記事タイトルに惑わされないように。

 改正案の内容から非実在青少年の文言はなくなったが、いわゆる「有害指定」(条文中では「不健全指定」)として規制される対象は、
 「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」
 に広げられている。

 この改正案は、目的(「青少年育成条例」であり、その保護されるべき法益主体は青少年である)は重要な意味を持つものであり、手段に重大な瑕疵がある。

 そもそも、青少年にとって有害な図書であるのだから発禁にして良い、という思想を持つ市民が一定量存在しているのであり、彼らに対してはなぜ一律に発禁にすべきではないのかも説明しておく必要がある。端的にはこれは憲法21条(表現の自由)に求められる。すなわち、どんな内容のモノであろうが、誰がどこでそれを出版・販売/頒布するかは自由であり、それを誰が買って読もうが自由である、という市民社会の原則である。ただし、これには一定の制限が必要になる。まず、表現の自由に対する規制というものは内心の自由憲法19条にいう思想及び良心の自由)に対する侵害に直結するものであり、経済的自由のように公共の利益のためにアッサリと規制されていいレベルのものとは次元の違うものであるということを前提とする。性的表現の規制については、それの保護法益が個人の(この場合で言えば青少年の)利益であり、「それを見たくないという拒絶権」「求めもしないのに見せられない利益」といったものを保護するものである(とする説が憲法学上では近年有力である。「社会的風俗」なるものに対する罪である、とする伝統的な刑法上の解釈は今でもある)。この解釈から、ゾーニングの理論によって、販売の方式・対象等により規制することについては一定の範囲で許されるものとされている(もちろん、監視できる売り場に陳列しなければ罰則、などというのがこの範囲にあるのかについては大いに疑問があるのだが)

 さて、これをもとにして条例案を見ると、9条の三に、「勧告等」が定められている。有害指定を複数回受けると都知事から「勧告」がなされる旨が記されている。ここでいう「必要な措置」とはいったい何であろうか。現状のわいせつ物規制のように、修正の入れ忘れを塗りつぶすなどといった対策ではこれが満たされないことは明らかである。なぜかといえば、規制の内容が「露骨な性器の描写」などではなく、上に示した太字の基準であるからである。もちろん、9条の三の柱書からわかるように、規制の対象は販売方法などではなく、図書類発行業者の発行行為そのものである。
 では改めて、都が行う「必要な措置を勧告」とは何なのかを問おう。

 それは、事実上の「発禁指定」にほかならない。

 「青少年の健全な成長を阻害する図書類」を発行する「図書類発行業者」に対して、都は「おい何とかしろ」という、内容の不明瞭な勧告をするのである。勧告それ自体には、何らかの行為を強制させる直接の効果はない。処分性のないとされる行政指導でも、実質的にはかなりの強制力をもつのが日本の行政である。記者会見の場で名指しで石原慎太郎に罵倒され(条例案9条の四)ても一向にかまわない、という稀有な出版業者(あるいは同人誌の発行人でもいいが)でもない限り、出版を『自粛』するという対応がされるのが通常であろう。

 なお、この条例案には、この他に「規制の過度の広汎性」「規制内容の不明瞭性」「被害者なき表現行為の処罰根拠の不在」「審議会の委員の構成・選任等の手続の正当性の不足」など、挙げればキリがないほどの問題があるが、今回は割愛する。・・・というか専門の方々も色々と検討をされるはずなので(山口貴士弁護士とか)お任せしたいと思います。