ダビング10先送りで「五輪商戦」に水? メーカー板挟み(ITmedia)

 ダビング10(笑)という規格そのものを見直したらいいんじゃないかな。このまま権利者の恣意的に私的録音保証金を許せば、いずれはあらゆる情報機器が課金の対象に拡大されることでしょう。
音楽や映像が売れないのは違法コピーのせいであり、そのせいで市場が縮小しているなどという主張はお笑い種。CDが売れていないだけでライブや配信による売り上げはうなぎ上りであり、音楽に対する需要は拡大している…とか。(ソースは朝日新聞にのった津田大介氏の記事より)

しかし。
なによりもこの記事内の民放連のコメントに噴いた。そして絶望した。

「権利者を失望させないようソフトランディングしてほしい」

さすが民放連wwww関テレをたった一年で復帰させただけあるwww

というわけで制作と放送サイドはそろって旧来の主張を繰り返しているようです。


 この主張を飽きもせず繰り返して、いい加減白々しすぎるというか、ここまでくると狂信的イメージを持ちそうになって困りますが、どこまで続ける気なんでしょう。ここでダビング10開始先送りというカードを切ることで、五輪商戦に関してメーカーに匕首を突き付けたつもりで居るのかもしれませんが、その匕首こそが自分たちの傲慢の象徴であり、しまいには自分に刺さるであろう事を理解できないものでしょうか。ここでメーカーが折れなければ、地デジ(笑)自体の普及も大幅に遅れ、それでもおそらくは移行をスケジュール通りに行おうとするでしょう。そうなれば、放送と言うもの自体への信頼も失われていき、広告料で成り立っている民放は広告の価値の暴落によって最終的に自らにダメージを与えることになる。そして、収益の減少は番組クオリティの更なる低下を招き、スパイラルとなって放送業界そのものが陥没していく…という予測は的外れのものとは言えないでしょう。それに加えて、録画録音機器の規格闘争も機器の普及の障害となり、録画によるタイムシフトが行われにくくなる。そうなるとこれもまた放送されるモノに対する大衆の意識は離れていき、上のスパイラルを加速させることになることは想像に難くないと思います。

 録画録音機器なんて放送と言う既得権益を害する泥棒の道具であり、録画録音機器なんて売れなくなろうが人がコピーをすることをなんとしても許したくない、というのが根底にあることについてはもう疑う余地がありません。少しでもこの話に頭を突っ込んだことのある人なら基本的に知ってる事でしょう。しかし…たとえばうちの家族でも、私的録音/録画保証金なんてものの存在自体を知ってるのは俺一人なわけで、TV番組の主なターゲット層の一つであろうF1〜2集団なんてきっとほとんどの人が知らない。それ以外でも、こうしたことを知らない人は多いと思う。だから俺はここへこの記事を書くのです。


さて、表題の記事に戻って、メーカーは抗戦の構えです。

これでそのまま折れるようなら、将来メーカーを就職先にしようと思っている俺ですが、これについて見直す必要があるかもしれないですな。某メーカーで俺を待ってる人には申し訳ないですが。まあその前に大学入れよ俺って感じですね。

抗戦を続けるなら、メーカーもまだ捨てたものじゃない。

劣化のない複製が行われるようになったのも、高度なDRMをかけれるようになったのも、全ては技術の進歩がもたらしたものです。技術は人を縛る鎖であってはなりません。技術とは可能性であり、未来へと進む力であるはずです。可能性を開拓し続けてきた日本のメーカー各社の魂に期待をしたいと思います。