近世法社会の影響はいまだに社会全体に濃いのだと思う。自白の偏重だとか奉公構いだとかなんか諸々。なんでそんなものが残ってるのかと思うと、近世からの慣習であるのと同時に、日本は本当の意味での近代市民社会というものを自らの手で作ったことがないという事に改めて思い至る。