問題は漏洩そのものに非ず

 情報の漏洩リスクは、関わる人間の人数を変数とする指数関数になる、などと言われる。海保の映像流出は、起こるべくして起きたものと思われる。どこかの情報管理体制に問題があったのだろうが、起こっている問題はそこではないということを思い出す必要がある。

 その問題とは、「なぜ釈放したのか」「なぜあれほどのものをひた隠しにしたのか」の2点である。

 前者については、政治的判断と言う以外に説明のしようはないものと思う。そして、その政治判断は誰が行ったのかと問うたときに、政府首脳がやったのならば検察への介入としてその正当性が問われ、検察が独自にやったのだとすれば検察が外交上の判断を独自に行うのかと正当性が問われることになるだろう。

 後者について、おそらく「隠し通せるだろう」という残念な過信が前提にあり、公開によって日本国内で反中感情が噴出するのを恐れたというのが妥当な説明に思える。しかし、政府首脳の発言を聞くとどうもそうではない。官房長官「調査から捜査に、数日で判断」 尖閣映像流出(日経)などの記事に見るように、”全面公開については「従来と態度は変わっていない」”とのことである。既に各TV局によって映像は散々放送され、Youtubeでは次々にミラーが投稿されて誰でも自由に見られる状態にある。いうなれば、公開はすでにされてしまい、噴出すべき反中感情はもはや噴出を待つばかりと言える状況にある。つまり、国内の反発を恐れる理由はもはやなくなっている。仙谷某が未だに「政府が公開しない」ことに拘る理由は、中国への配慮一点に絞られる。では、仙谷某は、日本国民の「知る権利」よりも中国様の意向が優先するのか?という問いに答えなくてはならない。「あれは本物ではない」とかのジョークは無しでお願いします。もし偽物だったらこの場で謝罪します。