はやぶさ2計画始動から考える宇宙開発の意義

 「はやぶさ2」14年度打ち上げ計画決定日経新聞

 文科省宇宙開発委員会決定。はやぶさ2の計画が現実化へ。

 初代の成功を見てあわてて方針変換する政府を笑うことは出来ない。なぜかといえば、一般的な市民の認識というのはおそらくそんなもの(そして今はもう多くの人が忘れつつあるであろう頃)だから。失敗は成功の母、なんていわれていても、成功がなければ次がなかったであろうプロジェクトは多いもので、典型がはやぶさであると言ってよかろうと思う。

 科学の世界では高く評価され、国外の宇宙開発関係者を驚かせたはやぶさも、その成果の地味さからか何かはわからないが、国内では評価が決して高くない。この理由はおそらく、サイエンスに関する国民の全体的な興味の低さにあるだろう。子どもの理科離れが云々、などと言われている現象もその現れの一つである。バイト先の塾の中学生たちにきいてみても、はやぶさの認知度は高くなかった。ではこれは子供の世代の問題なのかというと、そうではない。むしろ子どもたちは大学生より知っているかもね、というのが正直な感想。大人の世代の方こそ理科離れが激しいんじゃないの?という問題を素通りして子どもの理科離れを問題視するというのはあまりに無責任というものだろう。親が全くサイエンスに関して無知で、子に本を買い与えることすらしなかったとすれば、子の理科離れはは学校教育の問題ではない。国民的なサイエンスへの興味の低さそのものが問題なのだ。

 惑星探査などというものは、いわゆる基礎研究の分野であっておよそ直接的に金になるものではない。それを国がカネをだして行う、というのは、もちろん科学技術の振興とかの必要性があることに加えて、もう一つ重要な意味があるはずだ。それは、サイエンスに関する国民の興味を喚起する、つまり、「わが国が世界初の小惑星探査を成功させました」などといったニュースが定期的にあることで、国民全体の理科離れを防ぐという意味である。理科離れしてしまった人というのは、基礎研究に意味を見出せなかったり、2番ではいけないんですかとか言い出したり、失敗したプロジェクトには次の機会など与えないのが当たり前などと考えるようになる。理科離れを防ぐということは、内容はともかく基礎研究というものの意義を理解し、世界初・世界一を目指すことの重要性を認識し、失敗したプロジェクトからは次へつなげようとする人を育てるという意味である。それは、グローバライゼーションに直面し、国土が狭く資源も少なく、ただ人だけがある、つまり人の能力によって立国しなければならない日本がこの先生きのこるために欠かせないものである。そしてこれこそが、「技術立国」という言葉の意味なのだと私は考えている。

 まあ、科学技術の重要視という価値判断を政府が国民に押し付けるのか、という批判はありうるかもしれないけれど、それが出来なきゃこの国全体がおまんまの食い上げですよ、という点についてを考慮してもらった上で同じ批判ができるかどうかを考えてもらう必要があるよ。