河村たかしの目指すもの

 河村たかしと市議会が市会議員報酬について争っている。
議報酬半減案、可決厳しく 「ボランティア化」平行線(中日)
河村市長から理由聴取 議員報酬半減案(読売)

 河村たかしは議員報酬を半減の800万円とする持論を展開している。議会側はその額の根拠が無いことと、河村市長に対して反発的な議会に対する懲罰ではないのかという点で争っている。
 この議員報酬半減の条例には賛成しかねる。現在の1633万という報酬が高すぎるとしても、800万とすべき正当性は見当たらない。河村市長は800万円は60歳の市民の平均報酬であり、議員が市民並みの報酬で働き、議員の地位を流動化させることにより議会を改革すると主張する。

 第一に、60歳市民の平均報酬である800万円を基準とすることと、議員が市民並みの報酬で働くべきか否かについて考える。800万円というのが統計データをさっとは発見できなかったのでとりあえず正しいとして、これに非正規労働者が含まれるかはさておいたとしても、平均に置くということは、少なくとも大卒の部長クラスの管理職(民間給与実態調査(名古屋市))より低いものであることは間違いない。議員の仕事を一般的に言えば、有権者の意見を集約し、予算及び規則を定めることにある。いわば、究極の管理職である。この職務に対する報酬が、私企業における部長クラスの管理職より低く設定されるべき理由は不明瞭である。
 第二に、議員の地位の流動化についてである。議員の地位の流動化とは、現在議員でない人が議員になり、議員は議員でなくなるという傾向を推し進めることを意味する。これだけを聞けば、議員の固定化を防ぎ、癒着を防ぐといった正の側面があるのが見える。しかし、前述の報酬半減により、その趣旨が満たされるとは考えられない。そもそも選挙に出馬するというのは、議員になるか無職になるかのどちらかに賭けるギャンブルのようなものである。報酬が少ないことから、市民の多くを占める給与所得者のうち、私企業において(おそらく他の人より、管理職の職務について)有能であろうと思われる、部長以上のクラスにある管理職にあるような人・あるいは将来そうなりうる人は、議員になることを選ばないだろう。住宅ローンを抱えているようなヒラのサラリーマンが、その返済の不安を抱えて議員になることに挑戦はできないだろう。では一体、この制度のもとで議員になるというのはどのような人物か。河村市長の脳裏にあるのは、安定した家業や、十分な資産のある人物ではないのか。それは即ち、河村たかし本人のことである。彼の言うボランティア的議員とはつまり、金持ちのノーブレス・オブリージュとしての政治家にほかならない。彼の目指す議員報酬の半減は、議員の流動化どころか議会の金持ちクラブ化をもたらす可能性がある。それが彼の目指すものなのだろうか?