過ちは繰り返す

 数日前の日経に、民主の予想議席300との記事あり。民主党単独過半数を超える可能性は高い。総選挙を取り巻く報道を見ていると、状況は4年前の「郵政解散」と似ている。

 「郵政解散」当時の状況を思い出してみる。なぜ郵政民営化なのか(何が国民にプラスになるのか)という点についてはサッパリ語られず、「郵政民営化」という単語だけが一人歩きしていた。また、民営化に伴って発生する可能性のあった問題については語られることは無く、報道もされなかった。民営化されてみて、国民にとって何かプラスになることがあったかというと、実感できる変化は特に無かったように見える。一方で、民営化に絡んで私服を肥やした者が居たことなどが次第に明らかになり、郵政民営化とは一体なんだったのかを遅まきながら問い直すことになった。

 今回はどうか。今回一人歩きしている単語は「政権交代。」というものである。ここで最も重要なことは、政権交代というものは政策ではないということである。当たり前だろ、と思うかもしれないがここは一番重要な部分。「政権交代。」という単語には、国民の受ける利益や負うリスク等の内容について不明瞭であるという以前に、それ自体は何の政策も表していないという大きな問題がある。当然、両党のマニフェストを並べて見比べていけばどのような変化が起こるのかは探ることが出来る。しかし、ネットでの選挙活動を禁止している稀有な国である日本は、選挙に関しては未だにTV時代にある。TVというメディアの性質上、マニフェストの内容を詳細に検討することは難しい。報道や各党のCMを見ていて受け取ることができるものは、「政権交代。」「責任力」といったバズワードばかりである。TV時代の選挙の最大の問題はここにあり、政策が議論されずにイメージで政党や候補者が選ばれることになる。

 最近の自民党の総裁選の時に「郵政解散の時の轍は踏まない」ようなことを言っていたマスメディアだったが、結局政党のイメージ戦略の片棒を担いでいる。もともと自省とか自浄とかという単語とは縁遠い方々ですが、まさに舌の根も乾かないうちに、という有様。いや、もしかしたら俺はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。「轍を踏まない」とはすなわち「今後は反自民で生きていく」というケツイの表明だったのかもしれない! Ω ΩΩ<

 冗談はさておき、マスメディアが口をそろえる「政権選択」という単語自体が間違いの元であろう。上に挙げた民主・自民のコピーは、「政策」ではなく「政権」を選ぶという間違ったイメージを有権者に与えてしまいがちなメディアのせいで生まれたものでもある。きちんと練られた社説やコラムが書かれていても、タイトルに「政権選択」とか「政権交代」とか書かれていることが多い。我々が忘れてはならないのは、選ぶべきは「政策」であって「政権」ではないということである。