prior safety

彼岸帰航 〜 Riverside View

庄内川
 岐阜県を水源とし、土岐や多治見を通過して名古屋北部〜西部を流れ、伊勢湾に注ぐ。写真は枇杷島から少し遡った場所、右岸から上流方向。奥に見える赤い橋は、名神一宮・東名阪一宮から名古屋市街を結ぶ名古屋高速清洲線、『赤とんぼ橋』。

 この写真の左側あたりが、2000年の東海豪雨で大きな水害を受けた旧西枇杷島町(現清洲市)。土手の上を歩いていると、水面が土地と同じ高度にあるようにも見えます。そして、東海豪雨による西枇杷島周辺の被害の象徴ともいえるものがこの写真。

庄内川増水時の遊水地である、右岸の庄内緑地へ水を流すため、堤防に切り欠きがあります。もう一つ、庄内川増水時に庄内川からあふれた水を新川へ流し込むための堤防の切り欠きがあるんですが、そっちはもうすこし上流にあるのでちと行きそびれました。庄内川が溢れるって時に新川の流量に余裕があるわけもなく、東海豪雨では新川が広範囲にわたって溢れたのです。この堤防の切り欠きは江戸時代からあるといい、すべては左岸にある名古屋の町を守るためにあるのだそうです。江戸時代だか戦国時代だかに、庄内川があふれそうになったときに右岸の住民を動員して堤防に切れ目を作らせたなんて伝説もあるのだそうです。しかしこの清洲地区を含む尾張地方はまた、江戸初期に木曽川の「左岸のみ」に築かれた『御囲堤』によって木曽川の水害から保護されていたのです。濃尾平野全体の地理的な問題ともあいまって、名古屋はこうして水害から保護されてきたのです。
 しかし、東海豪雨では名古屋市内でも各所で被害があり、経済的被害は2000億円を超えたとか3000億円だとか言われます。都市型水害というものを新たな水の脅威として浮かび上がらせたものでもあると言えるでしょう。