日付の戦史

黙祷一分。

 太平洋戦争に関して8月15日が何の日か知らないという人は少ないでしょう。8月6日、9日がわからないという人も少ないかと思います。
 日本人が大戦について語るとき、被害者意識ばかりだという批判があるのは的外れなことではないでしょう。戦争に出て行った兵士の多くは帰ってくることはなく、当時大人であった人は60年以上の時を経て生き残っている人は少数です。空爆を受けた記憶、敗戦の記憶ばかりが多く語り継がれてきました。だから、8月15日ばかりが大戦を象徴する日として記憶されているのだと思います。連合軍での戦闘停止の連絡はただちに翌日には行われましたが、日本軍はその連絡を受ける方法もなく抵抗を続けた部隊がありました。また、ポツダム受諾調印が実際に行われたのは9月2日で、受諾調印が行われてもなお、ソ連軍の侵攻は続きました。(9月4日頃までと言われています)そして、国際法的な意味で戦争の終結をみるのは1952年4月28日(サンフランシスコ平和条約発効日)のことです。
 悲しいかな、平和平和と呪文のように唱える人を含め、12月8日が何の日か知らないという人は意外なほどに多いものです。逆に言うと、米国人が覚えている日付はこればっかしです。12月8日とは、開戦の日です。戦争をなくしたいと思えば、戦争がいかに始まりいかに終わったかを十分に知る必要があります。終わった日、しかも国内向けに終わるよという予告がされた日だけを覚えていても、それを知ることはできません。 戦争がいかに始まったかといえば、12月8日に始まったともこれまた言えません。大戦勃発の1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻にしろ、日中の37年7月7日の戦闘開始にしろ、もともとそれを取り巻く環境があってその日に戦闘行動が始まっただけのことです。
 太平洋戦争が「いつ」ではなく「何」に始まり、終わったかというのは現在でも論争の的ですが、直接的には日本の中国からの撤退その他の要求、ハル・ノートの影響が大きいと言われます。これが突きつけられたのは1941年11月26日のことです。その前日25日には、ルーズベルト大統領は「日本軍の攻撃が差し迫っている」という通告を軍に行っています。この時点で日米開戦への明確なレールができたと見ることができるでしょう。
 では終わりを示すものは何だったかというと、これはポツダム宣言受諾から半年以上遡り、1945年2月11日、ヤルタ協定が結ばれます。(内容)日独の降伏に先立って、ヤルタでの会談で新たな世界の分割が行われ、その絵におおむね従って戦争が続きました。その後のソ連対日参戦(8月8日)や原爆投下(6,9日)はその予定の中でも少しでも自分のパイを大きくしようとするものであったと言われます。会談後半年戦い続けた日本軍はまさにピエロだったわけです。それは踊らされた日本が間抜けだったとしか言いようがありません。

 戦没者を弔う日は必要だと思います。そしてそれが8月15日であることは妥当であると思います。しかし、「8月15日教」とでも言うべきものに囚われるのは困りもので、戦争についてもっと多元的な見方がなきゃ困ると思うんですよ。